2007年6月13日水曜日

卒業

よく、「何々は卒業した。」という言い方をする人がいる。
いつ頃から定着したのか、いわゆる学校等の単位や資格などを取得し、当該施設から去るという本来の意味の方ではない方の、アレである。

今回はこの卒業について考えてみた。

1)飽きただけでは?
そもそも、なにが”卒業”なのか。
ある行為などをしていたが、自分がしなくなった、十分やり尽くして納得した、だからやらない、もういい。かつては熱中したが、いまはそれほど面白くなくなった。
すべて”飽きた”でいいのでは?自分の感受性が鈍っているのを言い換えているように聞こえる。

2)失礼だ
自分がしなくなった事でも、他者にとっては、まだ魅力あることであり、継続中の事かもしれない。それを、その人の前で、”卒業した”などと言うと、”え~?まだそんなことやってんの?子供だねぇ。もしくは遅れてるねぇ。俺はとっくにやめたよ。”みたいなニュアンスになり、相手が不快になること必至なのではないか?

3)私には”卒業”はないからよくわからない
私の場合でいうと、どんなことでも、過去やって面白いと思ったことは、今やっても面白い。
例えば公園の砂場でトンネルを掘るとか、そういうレベルの事でも全部、今やっても楽しめる自信がある。だから、”卒業した”などと過去の楽しかった事柄を切り捨てられる感覚が理解できない。バリバリの少女マンガとかも、今読んでも、面白いし。

4)自信過剰?
スキーなどでは”もうボーゲンは卒業した”なんて言うひとがいそうだ。
でも、それ、暴言かも。もうちょっと謙虚になった方がいいのでは?上には上があるのだから。

・・以上、”卒業した”といういいかたをする様々なシチュエーションとその問題点を挙げてみたが、好意的に使用できるものはなく、使うだけ損な言葉と思うのだが、いかがでしょうか。

例外として、使えそうな例を一個だけ。

5)自虐(自嘲)気味に使う
(目の下にクマを作りつつ)寝不足になるくらいゲームに熱中するのは、もう卒業したよ。

・・ただしコレも、注意が必要で、丁度、寝不足中の人に言っちゃったら問題かと思いますが。